夢を見ていた

新たな世界を創造するブログ

厳格で合理的、曖昧で無限大。

 コーディングを支える技術という本を読んでいます。もちろん2、3頁進んでは眠気に襲われている。
 gotoはジャンプの指令ということなのですが、いやいや、待ってよ相手は機械でしょ?gotoと言ったからってすんなり飛んでくれるものなの?言語が沢山あるなら、その言語ごとでジャンプの仕方を教えておく必要があるのでは??
 そして気付いた。どうやらプログラマーという言葉は私が思っていたよりも広範囲を指していたようだと。近づいてみたらもう一枚向こうに何かあった、そんな感じです。 

 comicoの暗黒城の誓いへのコメントで「王様が女に見える」というコメントを貰いまして、始めは意味が分からなかったのですが、どうやら見出しに「王様」を使ったせいだと分かりました。日本語には男女の別がありません(もちろん天皇、皇后という言葉はあるわけですが)。私は一番位の高い人という意味でも「王様」という言葉を認識し使用していました。しかし、男女の別がある言語の人にとっては最高位の男性が王様で、最高位の女性が女王。それは決して混ざらない。そういうことだったのだと思います。
 この明確さ厳格さは理系的、機械的思考ですよね。言葉に複数の意味を持たせたら誤作動を生んでしまうから。
 思いを伝えるために言葉が生まれました。例え「楽しい」と異口同音言おうともその中身は十人十色に違うわけで、余すことなく正確に伝えようとすれば長文になることでしょう。それでもすべては伝え切れないかもしれない。しかし実際私たちは既成の言葉でもって簡潔に表現します。しかしそうすると選んだ言葉に含まれない、はみ出た思いは伝わらないことになる。そして逆に言葉自身が持っている意味が付いて来る。たとえ伝えたかった思いにその意味と合致する部分がなくても。
 文章は言葉の積み重ねです。意図しない部分の言葉の意味ばかりを拾って解釈する人が現れたら・・・。理系の人の国語が苦手な点は、この言葉で捉える範囲の違いにあるんだな、きっと。
 文系はこれでもかと意味を持たせる気がします(懸詞とかそんな感じじゃない?)その重なりや繋がりが作品世界を豊かに広げます。読み手の知識量で感じられる範囲が変動するわけですね。それゆえに物語を作る人は「本を読め」とよく言われるわけです。
 私はさらに曖昧な感覚的人間かもしれません。それが私の想像性を支えているんだと思います。その弱点は感性の全く違う人には伝わりにくいということなんだと思います。合理的で的確なPC語を学ぶことによって、伝える能力に磨きがかかるといいなぁと期待している。
 まぁ、ちっとも読書が進まないけどね!